内藤哲也「辞めます」宣言の1秒前まで新日本辞めるつもりなかった!「面白いかなって」 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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内藤哲也「辞めます」宣言の1秒前まで新日本辞めるつもりなかった!「面白いかなって」

■「一歩踏み出す勇気」がプロレス人生を変えた

 

 2014年東京ドーム大会でIWGP戦に敗れた内藤は、ファンからブーイングを浴びる事態に陥ってしまう。正統派のプロレスラーがブーイングを浴びるのは屈辱でしかない。内藤にこの時の心境を聞いてみるとこんな答えが返ってきた。

「元々『試合したい』『試合するのが楽しい』と思っていたんですけど、この頃は『ブーイング浴びるの嫌だな』とナーバスになってましたね」

 本人が言うように内藤は精彩を欠いていた。G1CLIMAXで当時のIWGPヘビー級チャンピオン・AJスタイルズに勝利をするも、挑戦の機会が訪れることはなかった。しかもAJにリベンジを許し、ベルト挑戦は遠のく事態に。

 そんな内藤は2015年にメキシコへ遠征に行くことになる。

「直前にカナダで試合があったんです。それで会社(新日本プロレス)からメキシコで試合があるけど行くかって話があったので「行きます」と言ったんです。ただ『ここで何もつかめなかったら多分俺本当に終わるな』と思いながら成田空港を出発したのを覚えています」

 悲壮なまでの決意でメキシコへ飛び立った内藤に、ターニングポイントが待っていた。武者修行時代から親しくしていたラ・ソンブラとルーシュから新ユニット「ロス・インゴベルナブレス(Los Ingobernables)」へ勧誘されたのだ。

「今でもあの時のことははっきりと覚えています。俺が一歩踏み出した瞬間は、2015年5月27日にアレナ・メヒコでロス・インゴベルナブレスのTシャツを受け取った時です。本当に特別な時間で、ほんの数秒だったかもしれないけど一瞬ですごく考えたんです」

 一体どんなことを考えたのだろうか。

「ラ・ソンブラとルーシュは昔から知っている仲でしたし、日本でも何回も試合をしました。二人とも思い入れのある選手ではあるんですけど、これを受け取ったらどうなるのか、この先どうなっちゃうんだろうと色々とシミュレーションしましたね。

でも、あのとき、なかなか突き抜けられない状況だったので、このままで終わってしまうのか、それとも、これを受け取ったら何か変わるのかなとかを考えてTシャツを受け取りました」

 自らの状況を打破するためにロス・インゴベルナブレスへ加入した内藤は変わった。使っている技は変わらないが、緩急をつけたり、相手をおちょくったりして伸び伸びとリングを駆け回るようになる。

 

「ロス・インゴベルナブレスに入ってから、また『プロレスが楽しい』『早く試合がしたい』と思うようになりましたね。メキシコ遠征は1ヶ月だったんですけど『帰りたくないな』と思うくらい充実してましたよ」

 6月26日に内藤は凱旋帰国。遠征前と変わった姿をファンに見せつけた。入場時にロス・インゴベルナブレスのキャップ・Tシャツを着用。タッグマッチでは同じコーナーに立つ味方も不審がるような行動を起こすことも。さらに太々しい表情を浮かべては予測不能な動きをして相手を戸惑わせた。

 バックステージで質問されても「トランキーロ!焦んなよ」と答えて記者をも混乱させた。何をしたいのかわからない内藤にファンはブーイングを飛ばすも意に介す姿は一切見せない。

「ロス・インゴベルナブレスに入ってからはブーイングは気にならなくなりました。むしろ『俺のこと見てくれているんだな、嬉しいな』という思いが強かったです。柴田(現・A .E.W)から『真面目にやれ』って言われましたけど、「あの柴田勝頼も俺に本気で怒ってるんだ」と嬉しくなりましたね」

 内藤哲也が稀代のカリスマとして君臨するまで後もう少しである。

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篁五郎

たかむら ごろう

1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾ににて保守思想を学び、個人で勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。

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